ギュスターヴを失意のどん底に落としたアニマ教。その意外なルーツと歴史に与えた影響について考察します。
アニミズム ~精霊信仰の始まり~
精霊信仰
術が発見される以前から、人々の間では「精霊」の存在が信じられていた。
あらゆる物体や現象には「霊」が宿っており、それが生物の生死や摩訶不思議な自然現象などを引き起こしていると思われていた時代。
原始的な文明下にあって人間の理解を越えた畏怖すべき存在が「精霊」であり、それは「アニマ」と呼ばれていた。
エネルギーとしてのアニマ
紀元前400年ごろ誕生したハン王国によって術の研究が進むと、術はあらゆる物質が内包するエネルギーを「明確な意思」をもってコントロールすることで、一定の現象を生じさせるものだということが分かってきた。
このころから、アニマは単なるエネルギーとして捉えられるようになっていったものの、精霊信仰の名残から、単なる術エネルギーというだけではなく、「精霊」「霊魂」と同一視されることになる。
強いアニマを持つ者は、強力な術を行使できるというだけでなく、その者が持つ「霊魂」が素晴らしいものである、と捉えられるようになったことで、強いアニマを持つものが優れた者であるという認識が広がっていく。
こういった背景が、後年「術至上主義」を生む素地となっていくのである。
ハン帝国と旧アニマ教
旧アニマ教の誕生
クヴェルがもたらす術の恩恵により一大帝国を築いたハン。帝国歴101年にグラン・ヴァレの石橋が完成すると、ハン帝国はヴァイスラント遠征を敢行。多くのクヴェルを発見してさらなる発展を遂げることになる。そこから約100年、五賢帝によって良識のある政治が行われることになった。
五賢帝時代が終わろうかという帝国歴200年ごろ、アニマが全てであるという教典をもとにした宗教が誕生した。
ハン帝国は、国民にクヴェルを信奉させ、その権威によって成り立っている帝国。クヴェルではなくアニマそのものを信奉するアニマ教はハン帝国にとって都合の悪いものだった。
しかし、もともと人々が持っていた「精霊信仰」を土台とする旧アニマ教は、民衆の理解を得やすかったこともあってか、またたく間に東大陸全土へ広まった。
旧アニマ教誕生の背景
旧アニマ教が誕生した経緯については資料がないため、当時の時代背景を元に考察してみよう。
術の研究が進んでいなかった時代、クヴェルは「精霊信仰」の中で超常現象を生み出す神秘的な存在と考えられ、崇拝の対象となっていた。
しかし、ハン帝国で術の研究が進めば、クヴェルは術エネルギーを利用して術現象を発生させる装置に過ぎないいうことにいずれはたどりついたはずである。
この認識が広まると、クヴェルは「崇拝の対象」から「単なる道具」に成り下がってしまう。信じていたものが失われた民衆が次の崇拝の対象としたのが、実際に恩恵をもたらしている「術エネルギー」であり「アニマ」だったのではないだろうか。
五賢帝時代の終焉
帝国歴211年、最後の賢帝が亡くなったことで、100年に及ぶ五賢帝時代は終焉を迎える。
これは旧アニマ教の誕生から約10年後の出来事であることから、旧アニマ教の誕生が五賢帝時代を終わらせたと考えることもできる。
前述のとおり、ハン帝国はクヴェルへの信仰によってその国体を保ってきた国。民衆もクヴェルを信仰しているからこそ、クヴェルを持つ貴族たちが自分たちの上に立つことを受け入れ、代わりにその恩恵を享受した。
しかし、クヴェルに対する信仰が旧アニマ教の誕生とともに失われると、貴族たちは貴族たる正当性を失うことから、帝国民の統治は難しくなり、治安は乱れただろう。これらの背景が、五賢帝時代を終わらせたのだ。
ハン帝国の崩壊
クヴェルへの信仰を失ったのは帝国民だけではないだろう。
貴族たち自身も、自らが信じる自らの正当性を失った。「クヴェルを持つ選ばれし者」ではなく、「運よくクヴェルを手に入れて今の地位があるだけ」であるという事実は、貴族のアイデンティティを失わせた。
そんな貴族の心を埋めるのは、目の前の享楽だったのかもしれない。帝国歴266年には剣奴(剣士の奴隷)の殺し合いを観賞するための競技場が設立され、301年にはヴァイスラント遠征という名を借りた略奪が行われる。
アイデンティティを失い貴族としての自負を失った貴族たちは、自らを尊い存在だと思えなくなった結果、次第にモラルを失っていき、ただ帝国民をクヴェルという圧倒的な力で抑圧するだけの存在に成り下がってしまったのだ。
一部の良識ある貴族は南大陸へと流れ、帝国は弱体化。不満を持つ民衆は蜂起を繰り返し、帝国歴465年、ハン帝国はついに崩壊するに至る。
術至上主義とアニマ教
術の民主化
クヴェルの無い南大陸の人々にとって、術を使う東大陸人は脅威であった。南大陸へと流れた良識ある貴族たちは、ハン帝国崩壊後、五賢帝の子孫を中心に新ハン帝国を建国。クヴェルの力を背景に周辺の都市国家を吸収し、独自の発展を遂げることになる。
帝国歴800年ごろになると、発展の始まった新帝国領のフォーゲラングで世界初のツールが発明される。
ツールはクヴェルとは異なり、材料と技術があればいくらでも作成することができることから、クヴェルを持たない庶民層にまたたく間に広がっていった。
ツールによってクヴェルの力が相対的に失われると、クヴェルの力を背景に南大陸を支配していた新ハン帝国は帝国名を廃止。「ナ国」としてゆるやかな連合国へと移行する。これは恐らく、力による支配を試みて崩壊した旧ハン帝国の二の舞にならないよう配慮したものと思われる。
術至上主義の台頭
ツールが庶民層に広まったことで、術が使えない「術不能者」がいることが判明すると、術不能者は術が使える者から迫害を受けるようになった。
これは、術の才能を示すアニマの強さと人間の霊魂であるアニマが同一視されるようになったことで、術力の強い者が優れた人間であり、術不能者が人間的に劣った者であるという認識が広がったためと言える。
術の歴史が浅い南大陸では術不能者への風当たりは弱かったものの、旧ハン帝国の支配が長く、旧アニマ教の影響でアニマを貴ぶ素養のあった東大陸では、術が使えない者を迫害し、術が使える者を優遇する「術至上主義」が色濃く出ることになる。
この「術至上主義」が最も強固だったのがフィニー王国である。
メルシュマン地方の盟主を争っていた旧ハン帝国の貴族たちは、争いを続けながら四つの国へ分かれ、勢力が均衡していた。どの国もメルシュマン地方を治めるだけの大義名分が無かったこともあり、長らくこの四つの国がメルシュマン地方を治めることになる。
そんな中、ツールをいち早く軍事に導入したバース侯は、旧帝国が大量のクヴェルを手に入れた始まりの地「フィニー島」を征服したことで、メルシュマン地方を治めるための大義名分を取得。「フィニー王国」を名乗るようになる。「フィニー島」で見つかったクヴェル「ファイアブランド」も、バース侯の正当性を高めるために一役買うことになるのだ。
「術至上主義」はフィニー王国の成立と共に全盛期を迎え、フィニー王ギュスターヴを筆頭に術を得意とする者たちが上流階級を占める一方、術不能者たちは迫害を受け、テルム周辺にスラムを形成することになった。
ギュスターヴ13世と真アニマ教
「術至上主義」絶頂の時代に生まれた術不能者の王族、ギュスターヴ13世。
王族から術不能者が輩出されたことでフィニー王家の権威は失墜。12世の手腕でメルシュマン地方の統一に成功するものの、何者かに暗殺されてしまう。
後を継いだ14世も、南大陸で力を蓄えた13世との王位継承争いに敗れたことで、「術至上主義」が大きく揺らぎ始めていた。そんな中、13世を激しく敵視したのが「真アニマ教」である。
旧アニマ教を原点とする無数の宗派の中でも特に過激な思想を持つ教団だったが、術不能者にも関わらず王位争いに勝利したギュスターヴ13世を激しく敵視していた。
そんな中起こったのがフィリップ2世暗殺と、報復によるアニマ教の粛清。これらの出来事を契機に、術至上主義者と術不能者の対立は一層根深いものとなった。
その対立は、後年ケルヴィン対カンタールという構図となって長い争いの火種となっていく。
2つの「ハン」を倒した宗教の力
時代の変革期に発生したアニマ教。それは旧ハン帝国とギュスターヴ帝国という2つの「ハン」を倒す原動力となって社会に大きな影響を与えた。
鋼の13世の登場によって始まったアニマの無い存在が許容される世界では、アニマに対する信仰が揺らいでいくのかもしれない。
アニマに対する信仰を失った人々は、これから何を信じて生きていくのだろうか。デーヴィドの平和を終わらせるのは、信じられるものが無くなった術至上主義者達なのかもしれない。
宗教が生んだサンダイルの死生観
アニマ観の二面性
サンダイルの死生観がよくわかる場面がいくつかある。象徴的なのはソフィーとコーデリアの死の場面。
術エネルギーであるアニマは人の死と同時に体を離れるため、霊魂と同一視されている。アニマを神聖なものと見なす価値観が表れている一方で、だからこそ術不能者への差別意識が大きくなりやすいのもまた事実。
世界を満たすアニマ
サンダイルの世界のあらゆる物質には術エネルギーが宿っていることから、「すべてのアニマ」の元に人間のアニマも還っていくのだという観念があることが伺える。
世界全体がアニマに満たされているのって、何だか幸せな気がする。
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