ギュスターヴの後継者(1251年~1305年)

ギュスターヴ編

ギュスターヴの後継者に関する事柄をまとめました。

ケルヴィンとマリーの結婚から、デーヴィドのハン・ノヴァ宣言まで。

  1. フィニー王国最後の血
    1. 1251年 ケルヴィン、マリーと結婚
    2. 1252年 チャールズ誕生
    3. 1257年 フィリップ3世誕生
    4. 1263年 フィリップ3世、儀式に成功
    5. 1266年 ギュスターヴ軍撤退
    6. 1269年 ギュスターヴ13世没
  2. 後継者戦争
    1. 1269年 ハン・ノヴァ円卓会議
    2. 1269年 カンタール謀反
    3. 1270年 カンタール、メルシュマン地方を制覇
    4. 1271年 ハン・ノヴァ炎上
    5. 1272年 ロードレスランドがカンタールの支配下に
    6. 1273年 ヤーデ、ミドルアイランド島に砦確保
    7. 1273年 グラン・タイユがカンタールの支配下に
    8. 1275年 ヤーデ軍、ミドルアイランド島へ集結
    9. 1275年 カンタール軍、ロードレスランド西海岸へ展開
    10. 1276年 ウエスト海海戦
    11. 1276年 ユノー海岸上陸作戦
    12. 1276年 デーヴィド誕生
    13. 1277年 第二次バケットヒル戦役
    14. 1278年 ヤーデ軍再進軍
    15. 1280年 アナス川の戦い
    16. 1280年 ヤーデ伯トマス卿死去
    17. 1280年 ギュスターヴ15世誕生
    18. 1281年 ケルヴィン帰還
    19. 1281年 オート軍ザントフールトへ進軍
    20. 1282年 ザントフールト籠城戦
    21. 1282年 ノール候領の反乱
    22. 1283年 カンタール、病床の噂流れる
    23. 1284年 チャールズ、ヌヴィエムと邂逅
    24. 1286年 ザール峠の戦い
    25. 1287年 カンタール没
    26. 1287年 ギュスターヴ15世、儀式に成功
    27. 1288年 ケルヴィン、ハン・ノヴァ入城
    28. 1289年 ラウプホルツ公エドムンド、後継者戦争に介入
    29. 1289年 ナ国ショウ王、ケルヴィン召還
    30. 1290年 ソールズベリ平原の戦い
    31. 1291年 フィリップ3世没
    32. 1292年 ケルヴィン没
    33. 1293年 チャールズ、反乱討伐開始
    34. 1295年 ギュスターヴ15世、出奔
  3. 偽ギュスターヴ出現
    1. 1295年 ギュスターヴの名をかたる反乱が続出
    2. 1297年 ラウプホルツとの和解
    3. 1299年 チャールズ、増税政策
    4. 1300年 偽ギュスターヴ出現
    5. 1301年 メルシュマン平定
    6. 1302年 偽ギュスターヴ軍蜂起
    7. 1303年 ナ国ショウ王没、和平会議始まる
    8. 1304年 チャールズ、ハン・ノヴァ元老院へ兵糧出資を求める
    9. 1305年 ハン・ノヴァの戦い
    10. 1305年 第6回和平会議
    11. 1305年 北方軍とボルス隊激突
    12. 1305年 サウスマウンドトップの戦い
    13. 1305年 ハン・ノヴァ条約締結

フィニー王国最後の血

1251年 ケルヴィン、マリーと結婚

マリー、ヤーデ伯ケルヴィンと再婚。

1252年 チャールズ誕生

ヤーデ伯ケルヴィン、マリーに嫡子が生まれる。

1257年 フィリップ3世誕生

ヤーデ伯ケルヴィン、マリーに第2子が生まれる。マリーが出産と同時に死去。

1263年 フィリップ3世、儀式に成功

ギュスターヴ13世の手によって、フィリップ3世がファイアブランドの儀式に成功。しかし、ヤーデ伯としてはナ国に対する裏切りになることから、南方進出を成功させ、確固たる勢力を確立するまで公表は控えることとされた。

1266年 ギュスターヴ軍撤退

グラン・ヴァレを越えてラウプホルツ公国に侵攻するも、補給路が確保できず冬季を迎え、撤退を余儀なくされる。この際、ヤーデ伯ケルヴィン嫡子チャールズが石橋上の奮戦で勇名を馳せ、「赤天馬」と呼ばれる。

1269年 ギュスターヴ13世没

メルツィヒの砦で後続部隊を待つギュスターヴ13世は、モンスターの大軍による襲撃を受け死亡。49歳。

後継者戦争

1269年 ハン・ノヴァ円卓会議

フィリップ3世を後継者に据えるべく、ヤーデ伯ケルヴィンが各諸侯を集めて後継者問題についての会議を呼びかける。しかし、現在のギュスターヴ軍の最高地位にありフィニー国王代理であったオート候カンタールはこれを無視。カンタールの欠席により円卓会議は意味を持たず頓挫する。

1269年 カンタール謀反

カンタールはフィニー国王代理の地位の下、不穏分子の討伐を名目にパースへ侵攻。フィニー海軍を支配下に置き、フィニー島とパースに挟まれたパース海峡を手中とする。海峡封鎖によりヤーデ海軍は北上が困難に。

1270年 カンタール、メルシュマン地方を制覇

カンタールはワロニエの森の利権をめぐってノールと対立していたオート領オーバスと当時ノール領だったスライブールを誘ってノール領首都ツーラを攻撃。同時にカンタール自身はシュッド領首都カルナックを攻撃。

ヤーデ伯ケルヴィンはこの動きを受けカンタール討伐令を出すものの、カンタールの強気な姿勢とその後の懐柔政策により諸侯は完全に沈黙。大きな戦いもなくカンタールがメルシュマン地方を統一する。

1271年 ハン・ノヴァ炎上

メルシュマンを掌握したカンタールは、ギュスターヴ13世の死に対し改めて弔意を示し、テルム留守居役の名において出兵、ハン・ノヴァへ向けゆるりと進軍。ハン・ノヴァを見下ろすザール峠まで兵を進める。この間に諸侯の多くはケルヴィンのもとを去り、ハン・ノヴァを守る力を失ったケルヴィンはハン・ノヴァを放棄。

その後、兵力が無くなったハン・ノヴァがモンスターの襲撃を受け、炎の海に。これを見たカンタールは撤退。ハン・ノヴァが廃墟になったのを機に鉄工産業を全面的に廃止。鋼鉄軍も解体され術至上主義へ逆戻りする。

1272年 ロードレスランドがカンタールの支配下に

ヤーデ伯撤退後、各諸侯はオートに下った。

1273年 ヤーデ、ミドルアイランド島に砦確保

ヤーデが東大陸と南大陸の間にある島に拠点を整備。

1273年 グラン・タイユがカンタールの支配下に

カンタールは懐柔政策を進め、グラン・ヴァレ以北を掌握。

1275年 ヤーデ軍、ミドルアイランド島へ集結

7000からなる先行上陸部隊が集結する。

1275年 カンタール軍、ロードレスランド西海岸へ展開

ヤーデ軍集結の報を聞き、10000からなる軍を西海岸へ展開。

1276年 ウエスト海海戦

パースから南進してきたカンタール海軍を、海賊を中心としたケルヴィン旗下の別動隊が足止め。

1276年 ユノー海岸上陸作戦

ケルヴィン旗下のヤーデ軍が優勢に進め、東大陸上陸を成功させる。

1276年 デーヴィド誕生

チャールズに嫡子が誕生。

1277年 第二次バケットヒル戦役

ヤーデ軍優勢で戦いは終わるものの、単独追撃戦を展開したヤーデ伯嫡子チャールズ、ザール峠で撃破される。ケルヴィンは軍を立て直すため、一時ユノー海岸付近まで撤退。

1278年 ヤーデ軍再進軍

ヤーデ軍がアナス川まで再進軍。カンタールの画策により、ラウプホルツ軍が北進したことでヤーデ軍撤退。しかし、ラウプホルツ公ヨゼフ3世の急死によりグラン・ヴァレを越えることなくラウプホルツ軍は撤退する。

1280年 アナス川の戦い

ヤーデ軍がユノー海岸から再上陸。カンタール軍の抵抗なく順調に上陸を行う。両軍はハンの廃墟付近のアナス川でにらみ合いを行う。

1280年 ヤーデ伯トマス卿死去

トマス卿死去の報を受け、ヤーデ軍はザントフールトまで撤退。喪に服す。

1280年 ギュスターヴ15世誕生

フィリップ3世と南大陸諸侯の娘エカテリーナとの間に嫡子誕生。難産のためエカテリーナ死去。

1281年 ケルヴィン帰還

ヤーデ伯授受のため、ケルヴィンがナ国へ帰還。

1281年 オート軍ザントフールトへ進軍

ケルヴィンの留守を狙い、オート軍がザントフールトに進軍。チャールズの血気にはやる性格を利用し、守備隊を砦から切り離し各個撃破。難なく砦を包囲する。

1282年 ザントフールト籠城戦

留守居役チャールズがザントフールトに籠城し奮戦。包囲戦6か月に及ぶ。

1282年 ノール候領の反乱

フィリップ3世の懐柔により、ノール候領が反乱。包囲戦終結へ。消耗激しいヤーデ軍が撤退したことにより、ノール候領の反乱も終結。再度オート旗下へ。チャールズが包囲戦の責のため伯位継承権を剥奪される。が、すぐに回復。

1283年 カンタール、病床の噂流れる

報を受け、包囲戦の汚名をそそぐべくチャールズが東大陸へ出陣。快進撃を続ける。

1284年 チャールズ、ヌヴィエムと邂逅

ナ国グリューゲルでチャールズが宮廷作法を学びに来ていたオート候息女ヌヴィエムと邂逅。カンタールに何度も敗北を喫していたチャールズはヌヴィエムを公然と侮辱。

1286年 ザール峠の戦い

チャールズ優勢に進むも、カンタールが病を押して戦場に現れたことで、一気に劣勢に。救援のため、ケルヴィンがザール峠へ軍を動かすも、その後ミドルアイランドまで撤退。

1287年 カンタール没

メルシュマンの奸雄カンタールも病に倒れる。58歳。

1287年 ギュスターヴ15世、儀式に成功

フィリップ3世とヴァンアーブルの手により密かにファイアブランドの儀式を受ける。

1288年 ケルヴィン、ハン・ノヴァ入城

カンタールの死に乗じ、フィリップ3世中心に外交戦略を展開、メルシュマン各国の独立と、オート候継承権争いを煽る。この機にケルヴィンは難なくハン・ノヴァへ入城。カンタールの嗣子、ロードレスランド諸侯、グラン・タイユ北部諸侯を集め盟約調印。ここにヤーデ伯ケルヴィンを中心とした政権が成立。

ケルヴィンはハン・ノヴァに軍を駐留させるも、民衆を見捨てた君主であることの引け目から、ハン・ノヴァ炎上後自ら街を再建した元老院をを尊重し、積極的な介入を避けての統治を行う。

1289年 ラウプホルツ公エドムンド、後継者戦争に介入

カンタールの娘ヌヴィエムの説得により、ラウプホルツ公エドムンドが中原への軍事介入を開始。ハン・ノヴァ元老院のヤーデ伯への不信も相まって盟約に揺らぎが生じ始める。

1289年 ナ国ショウ王、ケルヴィン召還

ヤーデ伯の行動に疑念を抱いたショウ王はケルヴィンを召還。チャールズがケルヴィンの名代としてナ国へ。

1290年 ソールズベリ平原の戦い

グラン・ヴァレを越えたラウプホルツ軍と盟約の連合軍がソールズベリ平原で激突。連合軍がラウプホルツ軍をかろうじて撃退。

しかし、この戦いの後ケルヴィンが倒れたことで、盟約の崩壊が進む。メルシュマンではオート候の後継者争いが続き、各地で反乱も勃発。

1291年 フィリップ3世没

少数の手勢でヤーデへ帰郷中に野党の襲撃を受ける。援軍を待つもチャールズはこれを見殺しにする。ギュスターヴ15世が形見としてファイアブランドを継承。

1292年 ケルヴィン没

ヤーデ伯ケルヴィン死去。71歳。チャールズがヤーデ伯継承のためナ国へ帰還。

1293年 チャールズ、反乱討伐開始

ハン・ノヴァへ帰還後、ロードレスランド各地の反乱討伐開始。

1295年 ギュスターヴ15世、出奔

チャールズ側近の兵士の話を偶然耳にしたことで、ギュスターヴ15世は父フィリップ3世が叔父チャールズに見殺しにされたことを知る。それでも父の遺言を守り、チャールズの下で政務に努める日々を送る。

しかし、フィニー、ノール両国の継承権を持つ15世は、政治の道具になりたくないとの想いを募らせ、ついに身分と名前を捨てて家を飛び出す。

偽ギュスターヴ出現

1295年 ギュスターヴの名をかたる反乱が続出

反乱貴族や野盗らまでがギュスターヴ公の名を騙り、反乱や略奪を始める。

1297年 ラウプホルツとの和解

デーヴィドがラウプホルツへ赴き、関係の修復を図る。

1299年 チャールズ、増税政策

東大陸の駐留地、所領地の兵糧出資額を高める。ハン・ノヴァ元老院は反発するも、ヤーデ伯は力で押さえつける構えを見せる。

1300年 偽ギュスターヴ出現

数多い偽ギュスターヴの中でも最も有名な男が出現。

1301年 メルシュマン平定

カンタールの後継者争いを平定するため、カンタール9番目の子ヌヴィエムが軍を起こす。内乱に辟易していた有能な家臣が集まり、他の兄弟たちを圧倒。

1302年 偽ギュスターヴ軍蜂起

ハンの廃墟にギュスターヴ軍を名乗る勢力が蜂起する。

1303年 ナ国ショウ王没、和平会議始まる

ショウ王の死をきっかけに和平会議が始まる。その実態は、力を持ちすぎたヤーデ伯への牽制だった。

1304年 チャールズ、ハン・ノヴァ元老院へ兵糧出資を求める

チャールズ、肥大化しつつある元老院へ圧力をかける。元老院はこれを拒否し、偽ギュスターヴとの結託を計る。

1305年 ハン・ノヴァの戦い

偽ギュスターヴ軍がヤーデ伯チャールズを敗死させる。偽ギュスターヴのもとには各地から続々と兵が集まる。

1305年 第6回和平会議

チャールズ戦死の報を受け、ヤーデ伯代理デーヴィドはハン・ノヴァ自由都市化を条件にヤーデ伯の東大陸の権利放棄を提案。諸侯はこの条件を受け入れ、偽ギュスターヴ追討連合軍を結成。

1305年 北方軍とボルス隊激突

メルシュマンの諸侯で形成する北方軍は足並みがそろわず、偽ギュスターヴ軍のボルス隊は大きな被害もなく北方軍を壊滅。北方軍の弱さを見たボルスは、メルシュマンをも手中に収めるため作戦を無視して北方軍を追撃。

1305年 サウスマウンドトップの戦い

偽ギュスターヴ軍とデーヴィド率いる西方軍が衝突。偽ギュスターヴ軍がデーヴィド本陣にせまるも、南方軍到着により戦闘は終了。ヤーデ伯デーヴィド率いる諸侯連合軍が勝利を収める。

1305年 ハン・ノヴァ条約締結

第6回和平会議で議決された条約がハン・ノヴァで締結された。この後数十年にわたる平和と繁栄の時代は「デーヴィドの平和」と呼ばれる。

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